ほがらか日記
デイケアセンターほがらか で行なっているイベントなどの様子をスタッフが綴っています。
15年前の記憶
2026.06.08
私は、東日本大震災が発生してから3カ月後の2011年6月に宮城県山元町へボランティアセンターの運営を手伝うために向かいました。
京都駅から新幹線を乗り継ぎ仙台駅まで行き、仙台市から山元町までは東北自動車道を使って移動しました。
東北自動車道の海側と山側とでは、別世界の光景が広がっていました。海側は、建物が津波に流され車や船が点在していて、テレビで見たそのままの光景が果てしなく広がっていたのです。車の中からその光景を見て愕然となり声も無くただぼ~と見つめていた記憶があります。
山元町ボランティアセンターでは、全国から支援に来られたボランティアさんを現場に誘導して作業内容を説明する担当をしていました。日曜日には、個人ボランティアさんだけでなく、大型バスを利用して団体ボランティアさんも来られて、200名近くのボランティアさんが支援に来られた記憶があります(もっと多かったかも知れません)。バスに乗り込み現場での注意事項や作業内容等の説明を行い、そのまま現場に直行することもありました。ボランティアさんが作業をしている間は、バスには近くで待機していただいていました。当時は、まだ何時大きな余震があるか不安定な時期だったからです。
ボランティア活動が終わった後は、報告のために一旦全員がボランティアセンターに集まりました。全国から来られた大勢のボランティアさんがお互い話を交わされ、1人ひとりが、充実した気持ちと助け合う絆が漂い、活気に満ちていたことを記憶しています。
その他、山元町には、全国から寄せられた支援物資を保管する大きなテントが幾つかありました。テントの中には、高く山積みになった衣類や家具、自転車からランドセルまで、日常生活で必要なありとあらゆる物資が全国から届けられていました。毎日届く物資は、ボランティアさんが一生懸命に仕分けされ、整理がされていました。寄せられた大量の支援物資を見て日本人の底力を実感した記憶があります。
ある日、ボランティア活動が終わり、ボランティアさんが拾ってきた写真を事務所で整理をしていました。写真は、発見された場所と日付を記入した紙と一緒に袋に入れてまとめていました。集められた写真は、別の場所でボランティアさんが、特殊な液体を使って汚れを落としているとのことでした。
作業を進めていると、隣に座っていた地元の職員が、「どれどれ」と言って1枚の写真を取り上げて見つめていました。しばらくじっと見た後に、寂しそうな顔をして黙って写真を返してくれました。その写真には、チャペルで、大勢の友人と一緒にウェリング姿の花嫁さんが写っていたのです。地元の職員は、明るく振る舞いながら仕事をしていましたが、実際は、被災者だったのです。職員の中には、家族を亡くされた方が居られました。悲しい現実を突きつけられた記憶があります。
最終日には、未だ支援が入っていない海岸近くを地元の職員に、案内していただきました。鉄橋とホームだけが残った駅や屋根裏で一夜を過ごした小学校、自動車学校の跡地、海に浸かった介護施設等を見て回りました。港で海を見ている時に地元の職員が「海は二度と見たくない」と言う人が大勢居られる話をしてくださりました。
「15年前の記憶」それは、非現実的な環境から多くの人達が、力を合わせて現実を少しずつ取り戻そうと頑張っている姿に触れることが出来た貴重な時間でした。
